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同じ言葉によって指しているものが実は違う、という例

私はたぶん説明下手な方である。時間をかけて文章を書くのは、まあ、なんとかできるが、特に誰かに面と向かって言葉で説明するのは下手なようだ。だから、そういう場面で、「話しがわかりにくい」と言われたり、全くイイタイコトが伝わらなかったりする。日本語でも英語でも同様だ(複雑なことを説明するほどのドイツ語力は持ち合わせていない)。

だが、こういう苦難(?)を毎日のように経験する中で、最近思うのは「話が分かりにくい」と指摘してくれたり、全く別の意に誤解する人に、一つの共通する点があるようにも思う。それは、何か説明された時に物事を理解する手順のようなもので、相手のモノの考え方のフレームワークを読み取ってそれに沿って理解しようとするか、あるいは自分が既に持つ(自分に既知の)フレームワークに落とし込んで理解しようとするかの差で、「わかりにくい」と指摘したり誤解する人は、往々にして後者であるケースが多いように思う。むろん「理解する」とは複雑なプロセスで、そう単純ではないだろうが、少なくともAという人からBという人に情報が渡る局面で、上のようなタイポロジーが可能ではあろう。

単純な例を挙げよう。日本に住んでいる人に「ウィーンに住んでいます」と言ったとき。しばしば返ってくるのは、お世辞や社交辞令的な部分もあるだろうが「素敵な街ですね」とか「いいですね」と言われて、それ以上会話が続かない場合がある。これが、たとえば「ジンバブエに住んでいます」ではどうだろう?きっと「大変ですね」とか「危なくないですか」とか言われるだろう。そしてジンバブエでの生活についてあれこれ聞かれるのかもしれない。

実際問題として、ウィーンで生活するのは、おそらく東京と極端な差はないと思うし、ウィーンにはいい面も悪い面もあるのだが、テレビあたりで見た自分の中にあるウィーンのイメージだけで「いいですね」などと返答すると、その先が続かない。逆に「へえ、ウィーンでどういう生活をしているのですか?」と聞いてくれる人も結構いて、その場合は先入観などを抜きに聞いてくれることが多いから、こちらも話す甲斐がある。前者の聴き手は、自分のフレームワークで聞く型、後者は、相手のフレームワークを受け入れようとする型、とも言える。

また、私の専門とする「公共交通」の分野でも、「公共交通」が意味するモノはずいぶん幅広いし、人によって差異がある。専門家でも異なることはざらだ。会話がちぐはぐになるのは同じ単語を使って意味しているモノがお互い微妙に違うから、などということはよくある。図などでも同じだ。もっと大きなモノになって、研究プロポーザルなどになると、全く頓珍漢な理解をする「専門家」もいて、言葉によって指しているものが相互に違うのだと気づかされることもある。いずれも、聴き手が自分のフレームワークに全て落とし込んで考えている時に起ることだろうと思うし、「専門家」は往々にしてそういう罠に陥りやすいのではないだろうか。

私自身だって他人のことを言える立場ではないのかもしれない。だが、この点を指摘しておく必要はあるだろう。自分のフレームワークで聞くのか、他人のフレームワークの上に入り込んで聞くのかでは、モノの理解のしかたに大きな違いがあるからだ。特に、世代が異なる人や、生まれ育った文化が違う人では、自分と相手のフレームワークの差が大きいかもしれないから、なおさら気をつけねばならないだろう。

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