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消費税10%または20%の国から

オーストリアの消費税に相当する、付加価値税率は10%mないしは20%だ。5%の日本と比べるときわめて高いように思われる。

価格の10%が課税されるのは、概ね以下のものだ。

食料品(酒等を除く) 公共交通機関の運賃 出版物 レストラン等で食事をした場合の食べ物(飲み物は20%)

20%の税率が適用されるのは、その他ほとんどである。意外に思われるかもしれないが、電力・ガスにも20%の税率が適用されている。

ここで問題にしたいのは、「10%」「20%」というのは率であって、絶対的な支出額を意味しているわけではないという点だ。オーストリアに限らず欧州各国に共通するのは、日本などと比べると食料品が安い点だ。もともとの物価が安いということは、10%の税率で付加価値税(消費税)支払ったとしても、税金としての支出額は小さくなる。一方で、20%の税率が課せられるものはというと、日本より割高なものが多いが、毎日買う手のものではない「贅沢な」物が多い。こういう物の付加価値税支出額はかなりに大きくなる。

たとえば私が昨日買った食料品(だいたい1週間分)に対する税額は1.61ユーロ(約180円)だ。購入合計額は16.11ユーロ(約1800円)で、10%の税率が適用されている。しかし、買った物・量と言えば、これくらいの量を日本で購入したら3500?4000円程度にはなるだろう、という程度の物・量だ。5%の消費税を3500円ないし4000円に対して払えば175円と200円だ。税額がかなり似ているのが分かる。

こんどは、1万ユーロ(あるいは110万円)の自動車を買ったと考えてみよう。自動車の付加価値税率はオーストリアでは20%だから、税額2000ユーロ(約22万円)。110万円に対して日本で発生する消費税は5万5千円だ。この場合は、圧倒的にオーストリアの税額の方が高い。

(なお個人の所得水準などはオーストリアと日本では大きな差がないと考えてよい。一人あたり国内総生産はオーストリアの方が日本と比べて1割ほど多い。また、食料品が安いのは、農産品であれば農業補助金等があるために安いのだと思われるし、販売店が低賃金労働で支えられている面もあるだろう(特にスーパー)。)

このような仕組みになっているため、一般の人が日常的に支出する税額は、税率は10%と高いといえど、絶対的な金額では日本と同程度か少々少なめだと考えられる。非日常的な買い物(と酒などの嗜好品)に対する税額は20%と高いので、こういったものに課税される付加価値税額は日本より大きくなる。後者のものを買う頻度とそれに対して払う付加価値税額は、所得が高い層の方が高いと考えられるから、ここである種の累進性ができているとも言える。

税率もそれなりに問題ではあるし、「欧米諸国よりも日本の消費税は安いから上げた方がよい」という言説も多々見かけるが、個々のものの物価までを考えて実際に人々がいくら付加価値税として支出しているかを考えているものは、私は見たり読んだりした記憶がない。ここを考えずに税率だけ議論して、税率を上げるべきだだの、いや上げないべきだだの議論をしても、あんまり意味のある議論にはならないと思われる。国家財政の歳入中の消費税の割合などを考えることも重要だろうが、個々の負担がどれくらいになるのか、という議論が日本ではすっかり忘れ去られているように思われる。もともと日常的に買う品々の物価が高く、数年に一度しか買わない品々の物価が安い日本で、前者に欧州各国と同じ税率を適用すれば、個々人の負担は欧州より大きくなるはずだ。

念のため書いておくが、上記を書いたのは、議論の観点を提起したいからであって、「消費税率を上げるべきだ」「現状維持がよい」「下げるべきだ」という類のことに関する私の考えを示唆したいためではない。他にも検討すべき観点が多々あり、その結果として税率をどうするかの結論が出されるべきだろう。

なお、オーストリアでは健康保険料なども高いが、医療費は原則として無料だ。また、教育は小中学校、高校、大学とも、公立のものは無償だ(大学は非EU加盟国籍の外国人と1年以上留年した学生は学期毎に380ユーロを収める必要があるが)。また、子ども手当に相当する “Familienbeihilfe” が、子どもが27歳の誕生日を迎えるまで親に支払われる(金額は年齢と何人目の子どもかで105.40ユーロ?202.70ユーロの間で変わる。詳細)。これらの点は付言しておく。

ビザ(査証)と滞在許可(在留資格)の違い

最近、「ビザ」について聞かれたり話しを聞いたりする機会多い。しかし、案外理解されていないんじゃないだろうか、と思うことがある。まずは多くの人が頼るであろう、「地球の歩き方」のウェブサイトから、オーストリアの情報を引用してみよう(引用元)。

【ビザ】観光目的の旅であれば、通常6カ月以内の滞在についてはビザは不要。

さて、この文章、「正しい」だろうか?

私なら「短期滞在の観光客の実用上はこの文章で間に合うが、厳密には正しくない」と言う。なぜかって?「シェンゲン協定に加盟しているオーストリアに入国あるいは滞在するためには、日本国籍保持者はビザ(査証)を一切必要としないから」である。こんなことを書くと「え、じゃあ、私は留学しているときに”ビザ”を申請したよ」という人がいるはずだ。はて、いったいどういうことだろうか?

ビザ(日本語では「査証」)と滞在許可(または「在留資格」)との違いを考えたことがあるだろうか?

「査証(ビザ)」というのは、通常は本国を出発する前に、目的地となる国の政府が設置している在外公館(大使館領事部、領事館)などで取得するものである。ビザはいわば「この人物は怪しい人物ではありませんよ」と、在外公館が「紹介状」ないし「推薦状」を書いていると考えればよい。従って、仮に査証を所持していたとしても、出入国審査担当官の権限で、「入国(越境)を許可しない」ことも可能だ。あまりに所持金が少なくクレジットカードの類も持っ ておらず、入国させたら不法に就労される可能性が高い、などと判断された場合に、査証を所持していても越境が許可されないことがあり得るわけだ。なお、担当するのは通常は外務省に相当する官庁だ。

「滞在許可」というのは、越境時などに「あなたは○○日間わが国に滞在してよろしい」という形で許可されるものである。たいてい「○○の目的で」など条件が付く。なお、所管するのは内務省や法務省に相当する官庁や、国によっては州政府などだ。

従って、「査証」と「滞在許可」は別物であり、そもそも目的が違うし、発行する主体も異なる。また「査証」(いわば「推薦状」)を本国で取得して、越境を許可された上で「滞在許可」(滞在してよい許可)を取得するのが本来の手順だ。

たとえば私の友人のウィーン留学中の中国籍の友人の場合、中国を出発する前に北京のオーストリア共和国大使館領事部で「査証」を取得し、ウィーンに到着後に「滞在許可」をオーストリア共和国ウィーン州の担当部署から取得している。これが本来の手続きの姿だ。

なお、往々にして「ビザ(査証)」と「滞在許可」は混同されているようだ。上記の「地球の歩き方」ウェブサイトはまだマシだが、大阪・神戸のドイツ総領事館のウェブサイトなどでも、滞在許可証(ビザ)などと書かれていて、混同しているようだ(そのウェブサイト)。フランス大使館でも同様(サイト)。市中での会話で混同が多々あることは言うまでもないだろう。

ところで、日本国籍の場合は特に多いが、国家間で査証を相互に免除する協定を結んでいたり、観光客やビジネス・投資の誘致などを狙って相手国が一方的に査証を免除する規定を設けていることがある。これが適用される場合は、たいていは、90日間や180日間などの滞在許可が、査証なしで越境時に取得できる。(ただしこの場合も、就労してはいけない、などの制限がつく場合がほとんどだ)。

たとえば、私の住むオーストリアを含む欧州の「シェンゲン協定加盟国」25ヶ国の場合、欧州理事会規則No 539/2001で、査証の取得に関連して事細かに定められていて、第1条(1)および付則1と、第1条(2)および付則2でシェンゲン協定加盟国入国時に、査証の取得が必要な国籍と査証の取得が必要ない国籍が示されている。日本国籍は査証の取得が必要ない国(付則2)にリストされているため、第1条(2)が適用され、日本人はシェンゲン協定加盟国への越境にさいして、3ヶ月以内の滞在を目的とする場合に限っては、ビザの取得義務を免除されている。

なお、この規則では「査証」とは「合計3ヶ月を超えない加盟国(1つまたは2つ以上)での滞在の ための入境、または空港でを除く乗継ぎでの加盟国通過のために必要な、加盟国またはそれに準じる地域が発行する認可」となっている(第2条)。この通り、「査証」と は「入境」のための許可であるという立場だ。滞在を許可するものではないことを繰り返しておく。

さて、越境したあと「滞在」する場合はどうすればいいのだろう?それには前述の通り「滞在許可(在留資格)」が必要となる。むろん、日本国籍でも、だ。3ヶ月以内の滞在であれば、越境時に付与されるので問題ない。だが、それを超える場合には話しが異なってくるわけだが、この長期の滞在許可の申請は、シェンゲン加盟各国によって異なるのだ。国によっては、3ヶ月以上滞在する場合の査証を、事前に在外公館で取得した上で、越境後に滞在許可証を申請するケース(フランスなど)と、査証なしで渡航して、越境後に滞在許可を申請するケース(ドイツやオーストリアなど)がある。

前者のケースは、3ヶ月を超える滞在の場合は、特定の査証を本国出国前に取得することを要求している。後者のケースは、3ヶ月を超える滞在の場合であっても、査証は免除され、越境時に付与される3ヶ月の滞在許可の延長を申請するという形になる。(なお、オーストリア共和国が主たる滞在先となる場合は、日本との間の査証免除取極(1958年締結)により、この「越境時に付与される滞在許可」は「1月1日?12月31日までの間で通算180日間」となる。)

余談: 時々、日本の大使館領事部にオーストリアのビザについて問い合わせる人がいるようだ。答えは当然「オーストリア政府に聞いてくれ」だろう。日本語も通じるので問い合わせたい気持ちも分からないではないが、聞く相手を間違っている。喩えるなら、ローソンの店舗にセブンイレブン入社に関する問い合わせをするようなものだ。「お役所仕事でたらい回し」と非難する人もいるが、ではローソンの店舗にセブンイレブン入社に関する問い合わせをして「セブンイレブン本社に行ってくれ」と聞かれて「たらい回し」と文句を言うひとは居るまい。(なお、ホームページで情報提供は行っている。)

また、東京のオーストリア大使館領事部に、「滞在許可」について問い合わせる人は多いはずだ。ホームページで情報提供は行っているが、ここは「査証」は発行しても「滞在許可」をする役所ではないので、細かい点はオーストリアで確認、と言われるはずだ。セブンイレブン入社に関する問い合わせを、セブンイレブンの店舗でしたとしても、「詳細は本社に確認してくれ」と言われるであろうのと、同じことだろう。

以上のようなことを知らないと、滞在許可申請やらその他関連する事柄で、痛い目に遭うことになるかもしれない。私は留学生などから比較的よく相談を受ける方だと思うのだが、申請する側も、申請を扱う役所の担当者も、「査証」と「滞在許可」を混同しているのがオチだ。

自分が知らないだけで手続き上痛い目に遭うならまだ話しは小さい。しかし、厄介なのは、「航空会社のチェックインカウンターの職員が知らない場合」や「出入国管理官が知らない場合」だ。最もチェックインカウンターの職員は派遣社員だったりもするので、知っておけという方に無理があるわけで、やはり自分で知っておくしかない。後者は「そんなことあるのかよ」と思うかもしれないが、私自身も体験がある。

例として、関西空港からフランスのパリを経由してオーストリアのウィーンに入国して留学する場合を考えてみよう。この場合、シェンゲン協定加盟国への越境はパリとなる。実際に聞いた話だと、関西空港のカウンターでチェックイン時に「フランスでは3ヶ月までのビザなし滞在しか認められておらず、復路の航空券も3ヶ月以内になっていないと入国が許可されないので、復路の航空券の予約を変えるべし」と指示されて直前に変えさせられる、ということがあるそうだ。さて、この説明は正しいかというと、正しくない。なぜなら、パリで乗り継ぐだけであれば、最終の目的地はウィーンであるので、越境に際しては主たる滞在先であるオーストリアの規則に則ることになるからだ。だが、現実問題として、フランスの入国審査官がオーストリアの日本人に対するルールを熟知しているとは思えないし、出入国管理ブースで説明できない日本人も多いだろうから、航空会社は上記のカウンター氏のようにフランス滞在者用の対応をすることになるのだろう。(同じ理由だからだと思うが、在東京オーストリア大使館ではこのようなケースでの移動に「直行便利用」を勧めている。)

ということで、長々書いてしまったが、以上が査証と滞在許可の違いであって、どういうルールが適用されるか、だ。日本のパスポートを持っていると、査証免除の取極が多いためにあまりこういうことを考える機会がないもので、中国人の方が詳しかったりするのだが、知っておくとよいだろうと思うので、今後の留学生のためなどにも、ここに記しておく。

オーストリアの貨物列車脱線転覆事故

18日未明になるが、オーストリア西部フォアアールベルク州のブラーツで、貨物列車が脱線転覆する事故があった(ソース1,ソース2)。貨物列車はルーマニア西部のCurticiから、フランス・パリ郊外(オルリーの近く)のValentonまで向かうもので、新車の自動車を運搬中であったとのこと。ジーメンス製の機関車に、車運車が16両つながっていたそうだ。ちなみに、機関車の自重は84t, 列車全体で777tの自重で、全長は548mだそうだ。

事故があった路線は、オーストリア西部のインスブルックから、最も西部のブレゲンツ方面へ向かう路線で、アールベルク峠を越える区間だ。事故のあっ たブラーツは、峠の西側の麓にあたるブルーデンツから10km弱のところにある。何度か乗ったことがあるが、単線で長い坂が続く区間だ。

脱線の原因は、今のところ確定的ではないが、何らかの原因で1両目と2両目の間のブレーキ管がはずれるなどして、2両目以降の空気ブレーキが作用しなかったことで、下り坂で加速して、駅の入り口で脱線したようだ。通常は制限速度を60kmに設定している”Brazer Bogen”(ブラーツのカーブ)という場所に、時速125kmほどで突っ込んでしまったらしい。(速度超過の理由は異なるとみられるが、カーブでの速度超過かつ60km/h制限のところに120km/hほどで突っ込んでしまった、という意味で、脱線の仕方が福知山線事故と似ている。)列車は5km程ブレーキがきかないまま走ったとのことだ。

通常、空気ブレーキには何らかのフェイルセーフ機構が備わっていて、広く使われている「自動空気ブレーキ」であれば、空気が抜けるとブレーキがかかる。(貨物列車なので、この「自動空気ブレーキ」が貨車に装備されていたのではないかと私は推測している。)今回のような「ブレーキがかからない」という事態はあまり想定しにくいので、原因は本格的な調査を待たないといけない。とりあえずの可能性としては、2両目の貨車の自動空気ブレーキ装置が故障・破損して運転台の弁の操作に対して応答できなくなった結果、2両目と、それを介してつながる3両目以降のブレーキが動作しなくなった(ブレーキ管の圧縮空気が抜けなくなったためにブレーキがかからなくなった)、などが考えられるだろう。

なお、運転士は脱線前に機関車の機器室に逃げ込んだため、死者を出さなかったのは不幸中の幸いだ。また、近隣には住居があったが、直撃はしなかったために住民にも犠牲者は出なかったそうだ。積み荷が化学薬品などではなく自動車だったことも、被害額は大きいといえ、不幸中の幸いだろう。

蛇足だが、現場近くでは、1995年にも旅客列車の脱線事故が起きているらしい。(ソース3, ソース4)

周囲には積み荷の自動車が散乱しており、線路も損傷したため、22日火曜日夕方まで列車の運行は再開されないそうだ。

なお、上記ソース1に写真が数枚掲載されているので、ご覧いただきたい。

結局「腹案」は何だったのか、断定できないが。

慌ただしく物事がすぎていったが、鳩山首相が「5月末」と期限を切っていた普天間移設問題は「辺野古」に戻り、首相退陣という結果になったことは、周知の通りだろう。ニュースではもっぱら新しい内閣と民主党の人事に注目が行っているようで、普天間移設問題などすっかり忘れ去られたかのようだ。(なんて日本のメディアは忘却が早いのだろう。)なんだか、「現行案で決まり決まり、もう終わったことだからいいじゃん、みんな忘れろよ」とメディアが密かに大合唱しているかのようだ。

既に各所で指摘されているが、公有水面の埋め立てには県知事の許可が必要だ。だが、その許可が出る見込みはゼロだ。今秋には沖縄県知事選挙があるが、現職の仲井真氏が当選しても、立候補が取りだたされている伊波宜野湾市長などが当選しても、許可を出す可能性はほぼゼロだろう。沖縄の世論がそれを許すとは考えにくい。とすると、この「辺野古」回帰の「日米合意」は、ほとんど実現不可能な案ということになる。むろん、共同声明を出した、日本側の防衛大臣や外務大臣、アメリカ側の国務長官や国防長官は、そのあたりの点を把握していないとは考えにくいから、それをわかりつつ、この実現不可能な「現行案」を日米合意として、さらに閣議決定までしたことになる。

ほとんど報道されていないが、米国では、在沖縄米海兵隊グアム移転費のうち政府原案の4億5200万ドルのうち、約70%が削減されて上院軍事委員会可決されたとのことだ(ソース、おおもと は共同通信)。2011会計年度(2010年10月?2011年9月)の予算で、グアムのアンダーソン空軍基地関連など三つの建設事業の予算計上を見送ったそうだ。さらに、グアムのインフラ不足が懸念されていることや、前提となる沖縄での埋め立て権限が降りないことなども念頭に、テニアンの活用検討も提案されているという。アメリカ側の予算の件はこれからも駆け引きが続くと思われるので確定的ではないが、上院とはいえ軍事委員会が予算を削った意味は大きいだろう。こちらでも「現行案」は実現に疑問符が付いている。

とすると、この普天間の返還・移設の問題は、先般の日米合意・閣議決定では建前上は辺野古を謳っているが、埋め立て許可権限と、米政府予算の在沖縄米海兵隊グアム移転費の面で、実現不可能性の方が相当に高いことがわかる。(沖縄世論は言うまでもないだろう。)

結果的に、前にも書いたような「のらりくらり」の道をたどって、首相の周りからのある種の「外圧」で辺野古案に「戻す」ことによって、逆に実現不可能性が浮かび上がることになった、とは果たして言い過ぎだろうか。直感的にも、現行案がほとんど不可能なことは、多くの人の目には見えているのではないだろうか。琉球新報の国会議員対象のアンケートでも(回答数は11%と多くはないが)、78人の回答者のうち35人は「国外に」と答えていて、沖縄県内にと答えているのは14人だけだが、これがそのことを象徴しているだろう。

琉球新報が社説で、 普天間問題はもともと「撤去」であり「移設」ではなかったことを指摘しているが、これがいわば「原点」だったはずだ。この社説が指摘しているように、「県 民の『返還』要求を、政府は米国との交渉で逆手に取られた。返還する代わりに「代替施設」を要求された。本来は嘉手納基地など既存施設・区域が代替施設と 想定された。候補地選定が揺れ動くうちに『名護市辺野古』にたどり着」いたのだった。だが、もはや実現可能性は皆無だ。

ところで、不可思議なことに、日本の大手マスコミが毎週のように行う「世論調査」では、内閣支持率は質問されていても、たとえば「普天間の移設先として どこが望ましいと思いますか」とか、「沖縄の海兵隊は日本と周辺地域の平和と安定に必要不可欠な存在だと思いますか」とか、「日本の防衛に米軍は必要だと 思いますか」とか、「辺野古現行案の実現可能性はどのくらいだと思いますか」とか「あなたは辺野古現行案に賛成しますか」とか、その手の質問はまずなかった。この手の質問を入れてはいけない暗黙の了解でもあるのだろうか?と勘ぐりたくなる。さらに、テニアン市長が日本を訪れても、グアム知事やテニアン市長が首相と面会するはずだったのを、首相補佐官が「門前払い」したと言われる件など(インターネット上ではいろいろ情報が出回っている。これなど。元はジャーナリストのツイッターらしい)、日本のマスコミはほとんど黙殺していた。何か意図でもあるのだろうか?

アメリカ側も一枚岩ではないだろう。日本との交渉窓口の一つとなる国防総省側(や国務省側)は、ある種の既得権を維持するためにも、さらに「思いや り予算」をもらうためにも、意地でも日本国内に代替施設が欲しいだろうから、一歩も譲らないだろう。だが、アメリカでも政権が変わっていて、ホワイトハウスや議会が意見を同じにしてい るとも限らない。その意味で、日本側では国務省側や国防総省側の「政府高官」の発言が「アメリカの意見」としてしばしば報道されるが、これは(意図してか 意図せざるかはおいておいて)、(ホワイトハウスや議会よりも)国防総省や国務省側の意見の代理人を日本の大手マスコミが務めていることになる。

前にも書いたが、「鳩山腹案」とはグアムとテニアン への 移転である、というのが私の見立てだ(最近は、これに海兵隊の再編・縮小が伴うのではないかと見ている)。もはや「幻の腹案」などと言う向きもあるが、「辺野古現行案」やその他の案の実現不可能性を 考えると、最も実現可能なのはグアム・テニアン移転だろうから、案としてはやはり最も理にかなっているだろう。フィリピンの例などのように、米軍に「お引き 取り願う」ことも、国際的には可能だ。また、「米軍がいないと有事に困る」という定説も怪しいところがあって、「米軍がいないほうが地域全体が安定する」とも考えられる。この考え方は、「東アジア共同体」構想とも、ロシアとの領土問題の進展とも、一貫性がある。

「最低でも県外、できれば国外」として沖縄世論や(メディアを介さない)日本国内の世論を焚きつけてから一転して「辺野古現行案」(とほぼ同じ物)に戻して、首相を辞任するのは、言葉のチョイスが悪い不謹慎な書き方だが、ある種の自爆である。だが、辺野古現行案を推す派をここに来て勢いづけたところで、その案が実現不可能で上手くいかないのも見えているから、この現行案推進派も、どこかの段階で行き詰まるだろう。こう考えると、第1段階の「世論焚きつけ」と「現行案推進派の勢いづけ」がひとまず終わり、次の第2段階で「現行案推進派(含む強力なマスコミの論調)を行き詰まらせる」というのがあるのではないだろうか。この第2段階はいわば「現行案推進派」を自爆させるようなものだ。(言葉のチョイスが悪くてすいません。)その時に残るのは「基地撤去」という議論の根幹たる原点と、必然的に発生する防衛や地域の安定をどうするかという安全保障の議論だろう。

まだまだ時間のかかりそうな件で予断を許さないし、まだまだ駆け引きなどもあるのだろうが、以上が今の段階で私が考えていることだ。他にも書きたいことはたくさんあるが、長くなってしまったので、ひとまずこのあたりにしておく。

ピルセン市民醸造所(チェコのビール醸造所)

もう1ヶ月近く前になるが、チェコのピルセンにある市民醸造所を見学してきた。現在世界中で飲まれている「ピルスナー」と呼ばれるタイプのビールをはじめて造った醸造所である。ここのビールの主力は「ピルスナー・ウルケル」で、日本も含めて世界中に輸出されている。ピルセン市は西部ボヘミア地方の街。プラハからなら鉄道で2時間ほど(ウィーンから行ったのでプラハは通らなかったが)。

工場は旧市街近くにある。見学はツアー形式になっていて、現在の最新鋭の工場の瓶詰め工程と、以前使っていた現在は稼働していない古い工場の両方を見せてくれる。現在の瓶詰め工程は最新鋭のビール工場そのものであり、日本でもおなじみのものだ。ここで見るべきはやはり古い工場の方である。特に印象的なのは麦汁を作ったりホップを加えたりするためのタンクと、発酵のために寝かせておく貯蔵用トンネル。工場敷地内の地下に縦横無尽に張り巡らせたトンネルで木樽でかつては発酵させていたそうで、トンネル内の温度を保つために天然氷を落とし込んでいた穴なども見ることができる。さらに、見学者は、酵母を濾過する前の「ピルスナー・ウルケル」が飲めるのだ(これは旨い)。

また、資料庫には、19世紀当時ここはオーストリア帝国の一部だったから、皇帝フランツ=ヨーゼフらが工場を訪れた記録などを見ることができて面白い。映像で19世紀から20世紀初頭の醸造所の様子を見ることもできる。

チェコは1人1年あたりビール消費量が150リットルと世界一になる「ビール大国」だ。街の中のレストランやバーでビールを注文しても0.5lで25コルナ(130円)ほど。喉ごしがあまり無く、ボヘミア特産のホップで苦みの利いた味の太い「ピルスナー・ウルケル」などのビールは、さわやかな味がする。(ビールは喉ごしと思っている人にはイマイチかもしれないが。)

チェコに行ったら、プラハやチェスキー・クルムロフで綺麗な街を眺めるだけでなく、こういう「チェコのビール文化の心臓」を覗いてくるのも面白いだろう。ここを見学すると、身の回りに当たり前にあるビールが、どういう過程を経て醸造されるかが分かるのはもちろんだが、ほとんど家庭毎に作られていたビールが、市民共同作業として共同で造られるようになっていった様子などもわかり、大変面白いのだ。

ピルセン市民醸造所の地下貯蔵トンネル。

やっぱり東京のメディアは「?」じゃないかな。

(これは前回のエントリー「テレビや大手新聞は見ない/読まない方がいいのではないかと思う今日このごろ。 」の続きです。)

前回のエントリーには反響がそれなりにあった。さらに自分で見つけたこと、考えたこと等々も含めて、書き足しておく。

今日のニュースを注意深く見ていると、「テニアン誘致を決議 北マリアナ上院議会 日米政府に要求へ」という記事が沖縄タイムスから出ている。内容は、アメリカの自治領(属州)である北マリアナ諸島の上院議会(定数9)が、普天間基地の移設先として同諸島内のテニアン島の米軍租借地を使うよう、日本やアメリカの政府に検討を要請するというもの。可決は全会一致だそうで、さらに下院(定数20)でも同様の議決が準備されているという。琉球新報にも同様の記事がある。

英語版記事を検索してみたら、米軍機関紙だというStars and Streipsに記事があった。David Allenという記者の記事で、21日付け宜野湾発となっている。冒頭をちょっとだけ引用すると、

While no communities on Okinawa and mainland Japan are willing to accept the relocation of Marine Corps Air Station Futenma, lawmakers representing tiny Tinian Island are campaigning for it to be the new home of the controversial base.

(仮訳)沖縄と日本本土のどの自治体もが普天間海兵隊基地の再配置の受け入れを望んでいない中で、小さなテニアン島の議院たちがこの物議を醸している基地の新たな場所となるよう政治的活動をしている。

というものだ。中身は、同じもので、「地元紙のSaipan Tribune」が報道していたとしている。ただしざっと検索した限り、Saipan Tribuneのオンライン版には記事は見つからなかった。

さて、不思議なことに、東京系のメディアを見ても、この件は紹介されていない。試しに日本のGoogle Newsで「テニアン」と検索してみても、出てくるのは、上記沖縄タイムスの記事を基にしている共同通信社の記事と、琉球新報の2つだけ。どうもおかしい。「北マリアナ諸島議会の議決なんてたいしたこと無いから見過ごそうぜ」というのはあまりにも考えとして稚拙だし、どうも、大手マスコミが業界を挙げて、テニアンやサイパンへの移設の可能性を「封印」しようとしているようにしか見えてこない。(マスコミはあくまで「社民党の提案」という扱い方しかしていない。)

やっぱり日本のメディアだけ見ていてもこの問題の全体像は出てこない。というか、在東京のメディアはグルでプロパガンダ・マシンと化しているんじゃないかと本気で思えてくる。

[…]

テレビや大手新聞は見ない/読まない方がいいのではないかと思う今日このごろ。

どう考えても不可解である。なんでこんな矛盾したこと平気で書けるのかなと思うようなマスコミ報道が多い。以下で朝日新聞の記事の見出しをを取り上げるが、単に首相の記者会見の記録が参照しやすかったからである。読売でも毎日でも中身は同じようなモノ。よくよく読んでいくと、「徳之島移設案はマスコミ業界が捏造したものです」と言っているに等しいように思うのだが。

見出しだけ並べると「徳之島の移設反対集会、首相『ひとつの民意と理解』」(4月19日)「徳之島案決定へ、20日閣僚会議 民主県連は撤回要求」 (4月19日)という具合で、あたかも徳之島案が政府案のように書いてある。NHKも記事の中で「・・政府内でヘリコプター部隊の一部を移すことが検討されている鹿児島県徳之島で大規模な反対集会が開かれた・・・・」と書いてあるし、あたかも徳之島が政府案であるような書き方をしているのは、どこのマスコミを見ても同じだ。

だが「『徳之島への移設指示』は『勝手な憶測』5日の鳩山首相」(4月5日)という記事にあるように、鳩山首相は徳之島案指示というのは憶測に基づいたものであり、「腹案」ではないことをぶら下がり会見で示唆している。ちなみに、敢えて書いておくが、産経新聞でも同日のぶら下がり記録記事にも、同じ発言が記されている。

もう、こうなってくると、「徳之島案はマスコミ業界によるでっち上げです」って暗に言っているに等しいような気もするんだけどな。記者会見で何社かの記者が「徳之島では・・・」といって、大臣なんかが徳之島に言及するのを繰り返し報道していれば、「徳之島が政府案」のような印象を流布させることはできそうだものな。

だけど、反対集会に象徴されるように、徳之島案なんかが出てくることで、移設反対の「地元の意志」が明確になる、という強烈な効果があるだろう。前にも一度書いたことがあるけど、あえてあーでもないこーでもないと「のらりくらり」やることで、「眠っていた民意」を起こすことに、今の政権は成功しているのではないだろうか。半年前にこんなに大規模な集会があるとは考えにくかったが、徳之島に続いて、今度は沖縄でも県内移設反対集会があって、知事までが参加するというのだから(時事通信)。(政権が人々をあおるのは民主的でないような気もするが、そもそも眠っている意見を起こさないと民主的なプロセスが何も始まらない状況では、そういうことがある程度必要だろう。)

ちなみに、首相の言う「腹案」というのは、サイパンとテニアンとグアムへ集約的移転を要請することではないのだろうか。Saipan Tribuneという現地の新聞では、テニアン市長は「30年にわたって米軍移転による経済的ベネフィットを待ち続けていた」と書いてある。読売新聞などは「普天間『八方ふさがり』」のように書いているが、国内移設先だけ見ているから「八方ふさがり」なんであって、サイパン・テニアン・グアムへの移設することにしてしまえば、すんなり解決しそうだ。そのことをYahoo! ニュースのページ(「キャンプ・シュワブ沿岸部以外の移設候補」の欄)が端的に表にまとめて表している。「のらりくらり」の狙い通りかどうかは別として、確かに国内移設案は「八方ふさがり」になっている。とすると、「自然と」国外のサイパン・テニアン・グアムあたりへの移転しかなくなってくるわけで、それ「腹案」なんじゃないかと思うのは、そのあたりに理由がある。

軍事基地なんてないに越したことはない(そもそも不要であることに越したことはない)だろうが、とはいえおいそれと簡単にはなくせない面もあるだろう。とはいえ、沖縄の負担を減らす、という意味で、サイパンやテニアンやグアムに移転していってもらうことが、悪いことだとは思わない。(むろん、サイパンやテニアンやグアムの負担が増えることの懸念はしないといけないが。)

さて、話しがそれそうなので、タイトルに話しを戻すと、どうも上のような事柄が多々あるので、テレビや新聞は見ない方がハッピーになれるのではないだろうか、と思うのだが、どうなのだろう?というか、同時に、テレビや新聞を真に受けずに自分の頭で物事を考えていくしかなさそうなだ。

4月20日追記: 以上はあくまで東京の大手メディアに対する話しだ。地方紙を中心に、きちんと報道をしている新聞は多いと思う。大手メディアが上記のようなプロパガンダ機能のようなものを発動た結果、新聞全体の信頼が落ちて購読者が減ってしまうようでは、地方の新聞社にとっては酷だと思う。

自転車と選挙ポスター

春になって暖かくなってきたので、自転車で研究所に向かうことにしている。地下鉄の場合と通る経路が若干異なることになるのだが、興味深いことを発見した。

オーストリアでは25日に大統領選挙がある。オーストリアの大統領は、首相と比べて政治的な役割は小さく、外交などと儀礼的な場面での仕事が多い、ある意味で名誉職のようなものだ。立候補しているのは、現職のハインツ・フィッシャー氏(社会民主党、中道左派政党)と、バルバラ・ローゼンクランツ氏(自由党、極右政党)の2人のみだ。公示前からフィッシャー氏の優勢だったこともあり、中道右派の民族党は候補者を立ててないほどだ。調査でもフィッシャー氏が8割以上の圧倒的な支持を得ている(ソース1,ソース2)。日本のメディアの内閣支持率はアテにならない気がするが、こちらのメディアの調査はアテにしてよさそうだ。

さて、面白いのは、そのポスターの掲示場所だ。市内中心部などはどちらの候補者も同じようにポスターを立てているが、私の住んでいるあたりとなるとちょっと事情が違うらしい。私が地下鉄で研究所へ向かうと、フィッシャー氏のポスターばかりを見ることになる。家から地下鉄の駅、地下鉄の駅から研究所の間ともにそうだ。自転車で研究所に向かってみると、ローゼンクランツ氏のポスターと、それに便乗して並んでいる党首シュトラッヒェ氏(ウィーン市長を狙っているとされる)のポスターばかりを見る。(地下鉄駅構内にはポスターはない。)枚数はフィッシャー氏の方が5?6枚、ローゼンクランツ氏の方も5?6枚だろう。(正確に数えていないが。)

地下鉄を使おうとすると、駅との行き来に徒歩の人が多い道を通ることになるが、そういう道には中道左派政党が多いわけだ。自転車を使うと、自動車が多い道を通ることになるが、そういう道には極右政党のポスターが多いわけだ。とすると、それぞれの政党の候補者が、どういう交通手段を利用する層をターゲットにしているか、少しだけ分かるような気がしないでもない。

ちなみに、極右政党はウィーンの人口の1/4近いという外国人には当然ながら不評で、ローゼンクランツ氏のポスターにはしばしば落書きがされている。選挙としても、おおむね結果が予想できてしまうため、有権者の関心は割と低いようだ。

ウィーンの地下鉄は週末24時間運行になる

2月11日から13日に行われた5項目に渡る住民投票の結果、ウィーンの地下鉄は週末は24時間運行となることが決まった。土曜未明と日曜未明、祝日の未明(つまり金曜深夜、土曜深夜、休前日深夜)に、これまでの終電である午前0:30からこれまでの始発である午前5時までに各路線に運行されるとのこと。運行間隔は15分。従来運行されていた30分おきの深夜バスサービスは、週末は路線が変更される。(平日はこれまで通り。)準備期間を経て、開始予定は9月3日深夜(4日未明)となった。(ソース1,ソース2)

追加で市が負担する費用は1年あたり500万ユーロ(約6.1億円)とのことだ。これは税金から支出される。深夜のサービスとはいっても、運賃などは普通のサービスと同じVOR運賃が適用され、旅行者用の24時間券や72時間券、1ヶ月券、1年券なども使うことができる。現在の週末の深夜バスの利用者が毎週末16,000人ほどだそうだ。このうち一定程度がシフトすることになる。

施策としては比較的幅広い世代の支持を得ており、若年層に至っては9割以上が支持しているというデータもある。(ソース。むろん、この手のデータは質問の仕方1つでがらりと変わる点には注意。)政策としては、市政与党の社会民主党も、野党の民族党も支持しているため、比較的容易に広く浸透したといえそうだ。

24時間運行することのメリットは、利便性があがることがもちろん上げられるが、それだけではないだろう。ウィーン市交通公社は、投票前に出された広報にて、利点(Advantage)として深夜帯の公共交通網のわかりやすさの向上、速達性の向上、魅力向上による新たな顧客獲得、世界の都市と比較した上での先見性の確立、深夜バス一部路線での騒音の軽減を上げ、欠点(Disadvantage)として、5億円の追加費用、深夜バスが平日と週末で別のものになること、駅のセキュリティー面の強化が必要なこと、これまで成功してきている深夜バスサービスを部分的に終わらせることになること、地下鉄の高架橋区間での騒音を揚げている。これに加えて、深夜サービスがあることによる治安面の向上が期待できるだろうし、「夜遊び」する人が増えて飲み屋にはメリットになるだろう。一方、タクシーには打撃になるだろう(ただしウィーンはタクシーそのものが比較的少ないため、影響は限定的だろう。)

ちなみに、現在ではウィーン市の人口の9割以上が、何らか深夜サービスにアクセス可能な地域に居住しているとのことだ。(この深夜サービスにはASTAXという電話予約・乗り合いタクシー型公共交通サービスも含まれる。ASTAX=Anruf-Sammerung-Taxi。)この率はおそらく変わらないだろう。

蛇足になるが、以前、夏の間だけ、S-Bahnの路線が24時間運行していたことがあった(Meidling-Foridsdorf間。20分間隔)。確か2008年の夏であったと思う。いつの間にか無くなってしまったように思うのだが、いったいどうしたのだろう?

それにしても、終電間際になると朝ラッシュ時並かそれ以上にぎゅーぎゅーになる電車がおなじみの日本には想像もつかないことだろう。公共交通の根本が「営利サービス」ではなく「公共サービス」として道路などと同じように考えられていることの一つの明確な現れ方だろう。

空港の需要予測:こりゃ議論をミスリードするだろう

数日前になるが、日本国内の空港の需要予測と実績の比較結果を国土交通省が発表して、マスコミ各社が報道していた。「国内空港:甘い需要予測、達成75分の8 紋別、石見13%… 成田も43%止まり」(毎日新聞)、「61空港、需要予測届かず 08年度、達成8空港のみ」(朝日新聞)、「空港需要 甘い見通し、9割予測割れ」(読売新聞関西版)と言った具合で、時事通信も「需要予測達成8空港のみ=国内旅客、9割は下回る?国交省」という見出しだ。どの記事も「9割が予測した値に達していない」だの「予測が甘い」だの、そんな調子である。国土交通省のウェブサイトをざっとブラウズしてみたが、報道発表などは出ていないようだ。

さて、「達成したのは8つの空港しかない」「9割は予測に届かなかった」という文章、なんかおかしくないだろうか?

この場合の「需要予測」は、利用者数の「見通し」「予測」であって、営業マンに課せられた売り上げノルマのような「目標値」ではない。だから「達成した」「予測に届かなかった」という議論そもそもが根本的に無意味だ。営業マンが売り上げや契約数の目標値を超えて喜々とするのは意味をなすが、需要の予測が予測値を超えて喜々とするのはこれと本質的に違う。プラスマイナス5%とか20%とか、ある程度の範囲に収まるべきものであろう。そういう意味で、たとえば熊本空港の需要予測値と実績値を比べると、実績値が予測値の1.6倍を超えているが、これも問題なのではないだろうか、ということになる。逆に大分空港は年間12万人(率にすると7%)ほど実績値が低いが、年間利用者180万人の予測、168万人の年間利用者数に対して12万人の差と言えば、一日5000人の予測に対して4600人ほどだったということである。さほど悪くはないではないか、という考え方だってできる。

さて、ちょっと計算してみたいのだが、年間の需要(万人)単位では実感がつかみにくいから、大分空港の例のように、1日単位に直してみよう。仮に一日平均500人使う空港があるとすると、365をかけて年間利用者数は18万2500人だ。ざっと20万人といったところ。一日平均800人の利用者がある空港の年間利用者数は29万2000人、ざっと30万人だ。最も利用者数の多い羽田空港は、1年に6319万人(実績値)だから、1日平均にすると17万3100人ということになる。桁が全然違うのが分かるだろう。この数字感覚は持っておいて頂きたい。

さて、毎日新聞の記事にあるデータをもとにして、計算し直してみた。どこの会社のデータを使ってもよいのだが、毎日新聞のデータを使ったのは、単にCSV形式にしてエクセルで読み込めるようにデータの変換がしやすかったからだ。

まずは、パーセンテージによる需要予測と実績値の比較をしてみよう。プラスマイナス5%の範囲内に収まるのは、拠点空港は新千歳、仙台、羽田、鹿児島の4空港。これに、地方管理空港やその他の空港では北大東、与那国、調布、天草が加わるが、この4つはどれも離島の空港か、離島路線に使われる本土側の空港で、予測された需要はこの4つの中で最大の与那国空港で年間8万人(一日あたり220人)だ。プラスマイナス20%の範囲内に収まるのは、上記に加えて、旭川、秋田、中部、広島、福岡、大分、鹿児島、那覇の各拠点空港と、神戸、出雲、岡山、宮古、県営名古屋の地方管理空港・その他の空港となる。30%範囲に収まるのは、これらに加えて、拠点空港では山口宇部が、地方管理空港・その他の空港では、青森、庄内、南紀白浜、徳島となる。

次に、実際の乗客数の需要予測と実績値の比較をしてみよう。年間だとわかりにくいから、1日あたりに直してある。(一日あたりに直すことの妥当性の議論はあるが、ここではおいておく。)拠点空港では1日あたりの誤差が2000人いないに収まっているものが半分ほど。地方管理空港やその他の空港だと、ざっと半分ほどが一日あたり500人の誤差の範囲には収まっている。5千人以上のずれと、大きくはずれているものもある。

さて、需要予測はどう行われているのだろうか?詳細は国交省の資料にあるのだが(資料)、結構専門的なので、ざっと簡単に言うと、基本的には、国内全体の(都市間)交通需要を予測して、地域別の発生量・集中量を推定して、地域間でどう分布するかを推定して、そのうち飛行機が分担する割合を推計している(いわゆる4段階推定法だ)。だから、国内全体の交通需要の予測そのものがずれてしまえば、空港への需要の予測もずれる。まあ、本題と関係が薄いし、これ以上ややこしい専門的な話しに立ち入るのはやめよう。

何が一番言いたかったかというと、需要の予測に「届く」だの「達成」するという新聞記事は、いろいろな議論をミスリードするだろうということだ。読者はこれらの記事を読んで「需要予測」は「達成」されるべきもの、ととらえてしまうのではないだろうか?時事通信の使っている「達成率」などという単語は特にミスリードしそうだ。「国内空港の半数が、予測値の半分にも届かない」という指摘は確かに当っているのだが、これに「達成率」という概念を併記したら、読み手は「需要予測は達成されるべきモノだ」と思いこんでしまう可能性が高いだろう。上の計算はざっとやっただけで粗っぽい面が多々あるが、こういうちょっとした計算をしてみると、「達成」ではなくて「予測と実績があっているかどうかはずれているか」を議論することができるだろう。マスコミにはそういう視点で記事を書いてもらいたいと思うのだが・・・・無理な話しなんだろうか?

それから、「過大な予測が空港の乱立につながった」と書くのは結構だと思うんだけど、「じゃあ何で過大な予測になったのか?」というところまで突っ込んでいる記事がないのが残念。ネタ的には政治家の口利きの方がセンセーショナルで面白いのかもしれないが、実際問題として(科学的な)需要予測の手法そのものに実は改良の余地がたくさんあるとか、そういう指摘があればいいのに、と思うのだが、これも日本のマスコミには無理難題なのだろうか?