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フォアアールベルク風「ケーゼシュペッツェレ」の作り方

アルプスの山を代表する料理に「ケーゼシュペッツェレ」がある。卵の入ったヌードルにチーズを絡めたもので、結構ヘビーだ。以下はGutekueche.atのレシピを参考に紹介。フォアアールベルク風とかチロル風とかいろいろあるが、まあ大別するとチーズとシュペッツェレを混ぜただけのものと、チーズをかぶせてオーブンで焼く系統のものがある。フォアアールベルクではチーズとシュペッツェレを混ぜるだけで、3種のチーズを混ぜるのが特徴だとか。

材料は以下のとおり。これは4人分だが、オーストリアの4人分なので、日本人サイズだったら6人分くらいにはなると思う。日本で手に入れるのがもっとも困難なのは間違いなくチーズですね。

ベルクケーゼ 350g エンメンターラー 50g “Räßkäse”あるいは代用としてはAppenzellerなど 75g (まあほかのチーズで代用しても可。代わりにエンメンターラーを増量して100gにしても悪くない。) 小麦粉(薄力粉、Type W480) 500g 牛乳 125ml 卵 6個 ナツメグ 少量 塩、こしょう適量 タマネギ1個

材料ではないが、道具として”Spätzlesieb“(Spätzleおろし)あるいは”Spätzlepresse“(Spätzleプレス)がないと大変。

作りり方は以下のとおり。

小麦粉、卵、牛乳、ナツメグ、塩、胡椒をボールで混ぜる。混ぜるにはおたまを使わないと生地が手にへばりついて大変。混ざればOKで、スムースな表面にしたりする必要は特にない。 鍋に沸かしておいた大量の水(塩を入れておくこと)に、”Spätzlesieb“を使って生地を小指くらいの大きさにしながら直接鍋に落としていく。ゆで時間は適当。それから最初に鍋に落としたものと最後に鍋に落としたものでゆで時間に差が出るが、そんなことは気にしなくてOK. 沸騰してシュペッツェレが浮いたら「水切りおたま」みたいなものでボールにあげておく。このときゆで汁をわずかにボールに入れておく(お玉1/4くらいとか)。 チーズをおろしておいて(ミックスしてよい)、ボールのシュペッツェレとよくまぜる。よく混ざったら皿に盛ってOK. 上記の作業の合間にでも、タマネギを細切りにして、バターでこんがり水分を飛ばしたものを焼き上げておいて、トッピングする。

以上で完成。アルプスの山の料理です。りんご酢などで味付けしたサラダがよくあいます。

 

片栗粉と天ぷら粉を日本から持参する必要はない

ウィーンで和食や中華料理を作ろうとすると、「とろみ」をつけたくなることがある。その「とろみ」に欠かせないのが、「片栗粉」だ。日系や中華系のスーパーでも、日本でよく見る製品が1袋4ユーロなどで売られていたりする。日本から持ってくる人も結構いるらしい。

しかし片栗粉は格安で Billa とか SPAR といったスーパーで手に入る。数年前に調べてみた結果わかったのだが、片栗粉の「正体」を知っていればいいだけだけの話だった。ウィキペディアの当該ページでも読んでもらいたいが、片栗粉とは「植物のデンプンを精製した調理用の粉」で、「近年では市販品の多くはジャガイモのデンプンが用いられる」そうな。つまり片栗粉とは実質的に「ジャガイモのでんぷんの粉」と考えればよい。

ドイツ語に直すと「ジャガイモのでんぷんの粉」=「Kartoffelstärkemehl」だ。何のことはない、クヌーデルなどの絵が書いて小麦粉コーナーの近くに売っている「アレ」だ。500gで1ユーロしない程度で普通にスーパーで売られている。オーストリアやドイツやチェコの料理でもごく普通に使うものだ。もうオーストリア製品を長らく使っているが、和食でも中華料理でも「とろみ」をつけたり下味をつけるのに使ったりする分にはまったく問題ない。

同様のものが「天ぷら粉」。これは小麦粉(Weizenmehl)とベーキングパウダー(Backpullver)と卵を混ぜればいいだけだから、全部「そこらへん」で手に入る。分量はクックパッドなどレシピサイトを見れば書いてある。だから「天ぷら粉」もわざわざ買う必要がない。

わざわざ書くまでもないような気がしていたのだが、最近「意外と皆知らない」ということに気づいたので、まとめておいた次第。オーストリアに限らず、世界各地でそのまま使える「智慧」(というほどのものでもない)だと思います。

ウィーンからプラハへ鉄道で格安旅行する方法

ウィーンからプラハまで「普通の」国際鉄道切符を買うと、片道41,40ユーロ。RailPlus/VorteilsCARDの割引などを使っても、片道で32,80ユーロ. あまり安いとはいえない。これは TCV Tariff という国際運賃が適用になる上に、オーストリアとチェコの間には二国間相互の割引制度がないので、割高だ。なおこれはチェコ国鉄の運賃計算サイトを使って算出した。(From Praha to Wien Meidling, VIA <1154>(havbrod/c.treb)*brno*BRECLAV(GR)<1181>w-florid*****.)

Student Agency などの格安バスを使ってもいいが、所要時間が少し長い上に、バスは鉄道ほど快適ではない。SparSchieneなどの「座席数限定・列車指定・変更及び払戻は不可」という切符を買う手もあるが、それでも29ユーロ程度はするし、乗りたい列車のものが手に入るとも限らない上、事前に駅に出向いて購入しないといけないので面倒だ(チェコ国内発はオンラインでも買える)。

しかし、(キセルをせずに合法的に)格安で旅行する方法がある。チェコ国内の鉄道乗車券は信じられないほど安い。これをうまく使うのだ。地図と時刻表をよく見てもらえばわかるが、ウィーンからプラハへのルートのうち8割くらいの区間はチェコ国内になる。だから、単純に「オーストリア国内」と「チェコ国内」の国内切符を分けて買えば、チェコ国内区間分は割安な国内運賃が適用になる、というわけだ。

ウィーンからブルノを経てプラハへ至る幹線鉄道の国境駅は「Břeclav」という。Břeclav国境 Breclav (GR) からプラハ本駅 Praha hl.n. までは、何の割引もされていない正規運賃で408コルナつまり約16,50ユーロだ。ウィーンからBreclav (GR) までは、ウィーンのどの駅を起点にするかでかわるが、割引なしでも10~15ユーロだ。ウィーン市内の切符(MonatskarteやJahreskarteなど)を持っていれば、市内最後の駅(Stadtgrenze)つまり当該路線では Wien Süssenbrunn から買えばよく、確か9ユーロ代だったはずだ。そうすると、割引なしでも片道でウィーンからプラハまで合計30ユーロで十分おつりが来ることになる。VORTEILSCardを持っているなら、オーストリア国内分は半額だから、合計すると片道20ユーロ強程度になる計算だ。これなら、好きな時間列車に乗れて、かつ SparSchiene と同額程度かそれ以下でプラハまで行けることになる。

問題はチケット購入方法だ。Wien Süssenbrunn – Breclav GR (Breclav Grenze) の切符はÖBBの自動券売機で買えるから問題ない。出発当日にでも、帰りの分もまとめて買ってしまえばいい。

チェコ国内が問題だ。原始的な方法は、Breclav でいったん途中下車する方法だ。これも悪くはない。しかしできれば直通で座ったままいたいし、楽をしたい。実は、最近の東欧各国の例に漏れず、チェコ国鉄ウェブサイトでは eShop といって国内の普通鉄道乗車券が全てオンラインで買える。英語のインターフェースも用意されているので、チェコ語がわからなくても問題ない。ユーザー登録を済ませた上で、オンラインでチケットを購入して(クレジットカードで決済)、自分のプリンターで印刷して購入時に番号を登録した身分証(パスポートなど)と一緒に列車に乗る方式だ(駅に改札はない)。ただしオンラインで普通乗車券購入する場合、事前に列車を指定する必要があり、指定した以外の列車では切符が無効になる、という欠点がある。だが、もともとウィーンからプラハへ直通する列車は2時間に1本しかなく、事前に(遅くとも前日には)どの列車に乗るか判っていることがほとんどだろう。であるから、実質的には問題がないだろう。これなら、オーストリア側とチェコ側の切符を持っていれば、列車に座ったまま国境を通過するだけでよい。

ここまで書いたのは、曜日に関係なくいつでも使える方法だ。しかし、土日限定、かつ旅行人数が偶数だと、もっと割安な方法がある。

チェコには、土日有効な「SONE+」というチケットがある。600コルナ(約25ユーロ)で、チェコ国内の全ての列車が丸一日乗り放題というチケットだ。しかも、大人2名、15歳未満の子供3名(合計5名)までが1枚の切符で乗れる。しかも、このチケットも上述のチェコ国鉄ウェブサイトでオンラインで購入可能である。25ユーロといえば、上述の Breclav (GR) – Praha hl.n. の大人2名分(33ユーロだが、チェコでは2名分まとめて切符を買うと少し割り引かれるので、32ユーロ程度だろう)よりも安い。

ということは、ÖBBの自動券売機で買う Wien Süssenbrunn – Breclav GR […]

石巻でボランティア活動等に必要な資材を追加調達する場合の一つの方法。

石巻には大勢のボランティアの方が来て下さっていて頭の下がる思いだ。ところで、ヘドロを書き出すのに必要なスコップなど必要な品々が手に入らないという話しも時々耳にする。

現地では活動に必要な道具(スコップや軍手など)がほとんど手に入らないので、食料やテント・寝袋とともに持参していただくのがベターだが、どうしても現地で追加的に必要になるものが出てくるだろうと思う。現地ではなかなか手に入らないと思うので、その場合は遠方から送ってもらうことになろうかと思う。その方法。

クロネコヤマトの運送がかなり復活していて、「石巻蛇田センター」が営業しています。ほぼ所定の日数で石巻まで届くようになっている。 石巻蛇田センターは国道45号沿い、国道108号との交差点近く(「ワークマン」という作業用品店の脇)にある。住所は「蛇田字下中埣37?1」センターコードは「013012」。 センター留め置きで物資を送ってもらうことができるので、スコップ等を、遠方の知人の方や支援者の方にまとまった数確保してもらい、センター留め置きで送ってもらうことで、送ってもらった道具などを受け取れる。 センター留め置きにする場合は、受取人名・住所(ボランティアの方の場合は住所は「石巻市災害ボランティアセンター・石巻専修大学(石巻市南境新水戸1番 地)」でOKかと思う。受取人名と電話はご自身のものを。そして、「品名」欄あたりに「石巻蛇田センター止め センターコード013012」と記入。(ヤマト運輸のページも参考に) この方法で遠方で物資の手に入りやすいところ(東京など)から必要な物資を調達することが可能かと覆われる。留め置きなので、当然ながら、自ら赴いて取りに行く必要がある。上記の石巻蛇田センターは市街中心からも比較的近いので使いやすいのではなかろうか。

ただしクロネコヤマトだって物資の輸送に大忙しのはずだから、事前に自身で持参されるほうが圧倒的によいのは言うまでもない。が、どうしても足りない場合は、このような方法で送ってもらうことができるだろうから、参考になればと思う。

うちの実家の防災対策を紹介

※末尾のコメントの部分も参照してください。友人からの経験が載せられています。

【4月13日:12日に書いた分に、抜けていた点、役にたった点など一部追加・修正しました】

【4月14日:これを読んだ父から抜けている点や間違いが指摘されたので、13日までに書いたに加筆・修正しました。】

【4月17日:母からの指摘を受けて加筆・修正しました。】

実家の防災対策を紹介しておこうと思う。防災というよりは、地震が来てライフラインが全て止まってもなるべく困らないようにするための対策。この地震でも何とかなったのだから、きっと誰かの役に立つだろう。量は3?4人には十分だった対策。なお立地的に津波の心配はまずないところだが、都市全体としては甚大な被害を受けた石巻市内だ。

【母からの訂正】水は5リットルのタンク1個と2リットルのペットボトルに水道水を備蓄し、1ヶ月に1回くらい中身を交換していた。これに加えて20リットルの空容器を2個物置に保管(以前はこれに満水にしていたので今回も満水になっていたのだと思っていました。) さらに、2リットルのペットボトル入りミネラルウォーターが12本ほど備蓄されていた。これらは飲用に使えるし、容器は給水所からの運搬に使うことができる。なおこのミネラルウォーターは5年前と10年前のものだったそう。このほか1997年頃が賞味期限の350ml缶入りミネラルウォーターが24缶あった。ペットボトルの水は地震発生後2週間の時点で、5本は未開封のまま残っていた。 さらに風呂桶は掃除する時以外基本的に水を張ってあるので、トイレの水などに使えた。 震災後自分が帰宅してからは、水を1)ペットボトルの水(基本的に使わないようにする)、2)水道・給水所の水、3)井戸水(洗濯程度は可)、4)トイレにしか使えない水(雪を溶かした水、米の研ぎ汁などを集めたもの、風呂桶にもともと入っていた水)、と質のちがいごとに分類して管理した。 給水所との間の往復ではポリタンクを運搬する方法が問題になるが、980円で以前に買ったキャリーカート(ミニ台車)が活躍した。段ボールなんかを載せてスーツケースのように引っ張るタイプのもので、固定用ゴムバンド着き。こういうやつ。 食料庫の中には日持ちするたくさんの食べ物が常に入っている(うどんやラーメン、パスタ、缶詰など)。乾麺は日常使いながら補充することで更新されていく。缶詰も同様で、親父の晩酌のつまみになって新たに補充されされたりするので、適宜更新される。米は5kg程度常に余裕を持たせてあるような気がするが、これは無意識のうちにやっている感じがする。 ティーバッグのお茶(紅茶など)がある程度の量は常備。下記の開放式石油ストーブ・やかんと組み合わせれば、急須などの洗い物なし(<—断水中はこれが重要)にお茶程度なら飲める。お茶が飲めるか否かなど、地震後のストレスの程度に影響すると思う。 断水時には食後の食器類を綺麗にするのに、紙で汚れを拭き取って、それから少量の水で洗うようにしていた。よって、紙、特にティッシュペーパーが重要な品。【下の友人のコメントも参照】 地震では都市ガスが最後まで復旧しないということを想定して(両親の1970年代の宮城県沖地震の経験からかな)、ガスはあえてプロパンガスにしてある。ガスを使うのはキッチンの調理器具だけ(給湯器は灯油)。なお、これを書いている地震発生1ヶ月後以上の時点で石巻の都市ガスはようやく一部地区で復旧しはじめた段階のようだ。 灯油は18リットルのポリタンクに4?7缶は常にストックされている。このストックは「古い方から使う」という(暗黙の)ルールがあって、常になるべく新しいものが保管される状態になっている。さらに容積が80リットルくらい150リットルある灯油タンクがあって、水道さえ出れば給湯器で温水が作れる(地震時は残量1/3くらいだったみたい地震発生後に燃油店の人が回ってきてくれた時点で80リットル程度残っていた)。【父からの指摘で訂正】 昔使っていた開放式石油ストーブを1つ捨てないで取っておいた。暖房以外にも、やかんでお湯は沸かせるし調理もできるので多機能。灯油と乾電池だけで動くから電源不要(いざとなれば乾電池もいらないはず)。また石油ファンヒータなどと比べると時間あたり灯油消費量は少ない(その分熱量が少ないが暖房としては何とかなる)ので、灯油調達の見込みがない時には重宝した。部屋の換気が重要(青森などでは震災後引っ張りだしてきて使って一酸化炭素中毒で運ばれた事例もあるようだ)。 停電時はロウソクで照明にしていたようだが、仏壇のロウソクのほかに、ティーライト(食卓を飾るための高さの低いろうそく)が多数ある。ティーライト用ホルダーと組み合わせることで、ティーライトの方が縦長の一般的なロウソクより安全性が高いと思われる。ただし自分が仙台から自転車で帰宅した直前にすでに電気が復旧していたので、実際にどうやっていたかは不明。 【父からの指摘】によると、炊事や食事など一定の光量が必要な時は、仏壇用の大型のロウソクを用いていたとのこと。高さ15cm程度の燭台に載せられるので明るかったとのことだ。それ以外は、ティーライトを2個使用していたそうだ。安全対策として、ティーライトホルダーに入れ、さらにそれを大きなガラスの灰皿の上に置いたとのこと(この安全対策により燭台+仏壇用ロウソクよりかなり光量が落ちるとのこと)。 重たい家具全てが金具や突っ張り棒などで建物に固定してある。また、父の書斎の本棚は最初から壁に組み込まれているので、本棚ごと倒れてくる可能性がないようになっている。 屋根瓦はスレート(西洋瓦)。日本瓦より落下する可能性が低く、この選択にも実は地震対策の意味合いがあった。 ブロック塀などは地中にちゃんと基礎があり鉄筋が入っているちゃんとした作りのものにしてある。市内の他の家を見ていると、大きな石(特に「野蒜石」)を積んだだけのブロック塀はずいぶん被害を受けているようだったが、こういった事態は避けられた。 乾電池はつねに一定量おいてある。単1が足りなくなりそうだったようだが、全体としては間に合った。また「乾電池置き場」の引きだしが決まっているので、探し出したりする必要がないこともポイントか。 「手回し発電式ラジオ」があって、停電時かつ乾電池がなくてもラジオからも情報を得られるようになっていた。 懐中電灯は一人1個以上持てる数があった。合計何個あるのかよくわからないが、1人2個までは足りない。 軍手・マスクも8?10双程度ストックがあったのが助かった。特にがれきをかきわけて進む必要のあるエリアに行くのには両方とも必須。 ガソリン不足の中で遠くに行くのに非常に重宝したのは自転車。幹線道路沿いに行く場合は自転車が、がれきをかきわけてどこかに行く必要がある場合は徒歩が活躍。4kmほど離れたところのスーパーが最初に再開したので、そこに行くためや、被災したエリアの親類宅などを見に行くのに使った。ただし母親は自転車に乗れないので徒歩でスーパーまで行っていた。 【父からの指摘】で追記:大小のリュックサックを、家族全員の分に余分なものを加えて常備。買い物に行った際に持ち帰るための収容力があり、また「両手が自由になること」が重要だが、これを私なりに理解すると、(1)両手にさらに荷物を持つことができ、(2)被災地の中を歩く際に手が空いている方が安全であり、(3)必要に応じてがれきをかき分けたりできる点がメリットかと思う。余分に常備しておいたのは、水などの重たいものの運搬を行うことでリュックが破損することがあるから、とのこと。

ざっとこんな程度の「備え」を意識的ないし無意識のうちに行っていた。これらのおかげがかなりあったと思うが、地震後は、私が到着する前も含めて、被災地としては比較的不自由の少ない生活ができたようだ。(むろん、電気が来なかったり水道が来なかったり、とそれはそれで大変。)

他に、あればいいなあと思ったのは屋根上に太陽光パネルと蓄電池。親類の家では、電気が復旧するまでの間でも、炊飯器でご飯を炊いたり、夜間の照明に使えたようだ。まあ、他と単価や投資額が全然違うが、売電もできるし、検討してもよいのではとも思っている。

ここからも14日に追記。

ところで、被災地を歩く要領はアウトドアに通ずるものがある。仙台から石巻まで50kmほどサイクリングしたが、ウィーン近辺で時折レクリエーションとしてサイクリングに出かけるから、50kmのサイクリングをした時に自分が消耗する体力というのはおおむね想像がついていた。また、自転車というのはゆっくりでも時速12km前後で走るし、急げば時速20km程度までは割と簡単に出ることも知っていた。ここから逆算して、体力を消耗しないようにゆっくりこいで、道草を食っても所要4時間半?5時間と見積もっていた。実際5時間ほどで到着したし、使った体力もおおむね想定した通りだった。

また、被災地の真ん中を歩く必要がある時には、軍手をはめてがれきをかき分けながら進むことがある。場合に寄っては民家につっこんだ車のボンネットに上り、車の屋根を越えて、そこから塀を越えて、流れ着いた家具を階段にして反対側に降りる、といったことが必要だった。これらは、落ちてくる物がないか、足下が安全かなど、滑るリスクはどこにあるかなど、確認しながら進んでいくという点で、山歩きの要領に通じる物があるように思う。

津波・火災の被災地の写真を Facebook にアップロードしています

津波被災地である石巻市内(主に中央、門脇、湊、鹿妻、渡波)地区で3月17日から26日頃までに撮影した写真をアップロードしています。Facebook上に載せていますが、誰でも見られる設定になっています。

主に大街道地区、東松島市赤井地区の水没した水田、門脇地区、湊地区、鹿妻・渡波地区の写真 主に湊地区の写真(18日撮影) 女川の中心部の写真(17日撮影)

以上Facebookのアカウントがなくても、誰でも見られる設定になっています。焼け野原のようになってしまっていたり、3階建てビルの上に車が乗っかっていたりと、ショックを受ける人もいるかもしれないけど、余力があれば、見てみてください。なお女川は父が撮影したもの、それ以外は主に自分で撮影したものです。

なお、仙台からの後をここでは報告していませんでしたが、友人から自転車を借りて石巻まで向かいました(所要5時間ほど)。その後、現在はウィーンに戻っています。

方便と裸の王様

鳩山前首相の「方便といわれれば方便だった」発言がだいぶ物議を醸しているようだ。Google News で「方便」とキーワードを入れて検索するだけで、

野党、普天間「方便<」発言追及へ=予算委、外交・安保で集中審議(時事通信) 抑止力は「方便」 国益損なう無責任な鳩山発言(2月17日付・読売社説) 仲井真知事:鳩山“方便”発言を「理解し難い表現」 県議会代表質問で(毎日新聞)

などなど、鳩山氏が批判の矢面に立たされているといってよいのがよくわかるニュース記事が検索結果として出てくる。

が、よくよく考えてみたら、これって、アンデルセンの童話になぞらえて言えば、裸の王様(=抑止力)が「王様は裸だよ」と指摘されて(=「方便」)、その「王様」の側近たち(=政治家、マス・メディア等)がわいわいがやがや騒いでいるっていう状態なんじゃないの?鳩山氏を批判して政局に仕立てるよりも、むしろ王様が本当に裸なのか、実はやっぱり衣をまとっているのかという、本質的な点を真剣に考えたらいいと思うんだけどなあ。そうはならないのかなあ?無理な期待ってものなのかなあ?

2011.02.28追記1: なおインタビュー全文(一問一答)は共同通信社が配信しています:http://www.47news.jp/CN/201102/CN2011021201000540.html

2011.02.28追記2: このインタビューの肝心な所は「外務、防衛両省に新しい発想を受け入れない土壌があったのでは?」との質問への「本当に強くあった。(中略)本当は私と一緒に移設問題を考えるべき防衛省、外務省が、実は米国との間のベース(県内移設)を大事にしたかった。」と回答するこのあたりじゃないかと私自身は思うのですが、この部分を「目立たなくする」意味で「方便」だけ切り取って騒いでいるんじゃないかなあ、などと推測(邪推)しています。

「コンバージョンからできた地下鉄 ウィーン地下鉄の形成」

タイトルの通り「コンバージョンからできた地下鉄 – ウィーン地下鉄の形成」と題した記事を書きました。ウィーンの地下鉄がどのように形成されてきたのかを、ざっとまとめたものです。「鉄道ピクトリアル」の2011年3月号(2011年1月発売)の113ページに掲載されています。またカラーの写真も多数掲載していただきました(104ページ)。興味ある方は、中規模から大規模な書店なら置いてある雑誌ですので、ぜひご覧下さい。

エジプトで政権転覆が起るのかも

日本でも今日になって邦人旅行客が帰国できないなどの問題で多少ニュースになっているようだが、エジプトで現在進行中のことなんて多くの人にとって は「遠い世界の他人事」なのではないだろうかと思う。日本語ではいる情報は限られている。日本政府がエジプト航空に運行を求めたり、チャーター機の手配を 「検討」している間に、トルコ政府はエジプト国内にいる自国民を脱出させるためにチャーター機の派遣を決めて、米国も決定したというような情報が流れている。

カタールのテレビ局アルジャジーラの英語版ストリーミング放送は、関連情報を連続的に流し続けている。今これを書いている間にも、ムバラク大統領がどうやって権力を掌握したかや、ナセル時代から、中東戦争を含めたエジプトの戦後政治史をリビューする番組を流している。興味深いことを紹介しておく。アルジャジーラの記者は同国内で取材を制限されているようだが、記者がツイッターを使って情報を流し続けている。日本のメディアでは考えられないことだろう。むろん、このツイートは誰だってフォローできる。

記者のツイッターアカウントを紹介するアルジャジーラのストリーミング放送の画面キャプチャ

ま た、興味深いのは、筆者のドイツ語コースの同級生など、フェイスブックに Friend として入っているエジプト人は、反政府デモの案内を全員に転送しているようで、私の元にも毎日のように案内が届く(むろんカイロでのものだから案内が来て もどうしようもないが・・・)。

Mubarak Farewell Party と題した反政府デモの案内(英語)が私の友人から来る

今後どのような展開になるのかは現時点では予想のつけようがないが、状況によっては中東の政治が大きく変ることになると思われる。特にエジプトのムバラク政権が崩壊した場合、他国の親米政権が連鎖的に崩壊していくようなことになる可能性も大いに秘めているだろう。その場合、中東の地政学的状況は大いに変ることになるはずで、将来歴史の教科書に残ることとなるではないだろうか。

なお、筆者が感じることとして、日本のメディアが流す情報は、ムバラク政権寄りの情報が大いように思わ、同政権に批判的な情報が日本語で報道されることは少ないように思われる。

[…]

ドイツで普通列車が脱線した件と、これを「特急列車」と伝えた日本の新聞

旧東ドイツのザクセン=アンハルト州で、普通列車と貨物列車が衝突して、普通列車の運転士を含む10人がなくなるという痛ましい事故が昨日あった。

路線は同州のマグテブルクからハルバーシュタットまでの区間で、普通列車はフランス Veolia Transport のドイツ現地法人である Veolia Verkehr による運行、貨物列車は民間のVPS社の運行で、石灰石を運搬していたとのことである(ソース1(Zeit)、ソース2(Focus)。現時点で原因は判っていない模様だ。

上記の Die Zeit の写真を見ると、2両連接構造のLINT41型気動車と思われる車両のうち1両目が、先頭部分から半分ほどまでがぺしゃんこにつぶれている。ちょうど、信楽高原鉄道事故を想起させるつぶれ方といってよいのではないだろうか。なお、このようなつぶれ方をして、火災に至らなかった点だけは、不幸中の幸いだろう。

ところで、この件を、AFP通信の配信記事として朝日新聞がホームページで報道していたが、なぜか普通列車が「特急列車」と替わっている。日本でソフトバンクとAFPが合弁で運営するAFPBBのサイトでは、「ローカル線の旅客列車」となっているから、AFPが間違っているのではなく、どうやら新聞社側で間違えてしまったようだ。運行会社が Harz-Erbe-Express GmbH という会社なので、 Express につられて「特急」とでも訳したのだろうか。なお、ドイツでは、日本の「特急」に相当するものは InterCity と呼ぶ。それより1ランク上の新幹線相当の列車を InterCityExpress と呼ぶ。Harz-Erbe-Express というように、2地点の地名にExpressを組み合わせた命名はしばしば行われており、基本的に日本の普通列車と快速列車に相当するものだ。

「特急列車」と報じている日本の新聞のオンライン版のキャプチャ