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ウィーンの医療システムを垣間見た

先週末にインフルエンザらしきものに罹患したらしく、39度を超える高熱を出してしまった。時は日曜午前5時。医者がやっているわけがない時間だ。結果的に、ウィーンの緊急医療体制を垣間見ることになった。ちなみに、全体像は日本語でこちらのウェブサイトで紹介されている。

平日夜や週末に医師の診察が必要な場合、救急車を呼ぶ(144番に電話)以外の方法として、「Ärztefunktdienst」(141番)というものが用意されている。これは、当番の医者が、一通りの診察器具を持って家庭まで往診してくれるシステムだ。利用料は、公的な健康保険に加入していれば無料。私は、ウィーン地方公的医療保険Wiener Gebitskrankenkasse (WGKK) に加入していたので無料で利用できた。電話がつながるまでに15分?20分ほどかかったが、電話をしてから1時間半ほどで、医師と、補助をする救急隊員がやってきてくれた。

簡単な問診などを一通りしてくれて、その後は薬の処方箋を発行してくれる。「インフルエンザだね」と言いながら、処方されたのが抗生物質や解熱剤などだったので、細菌感染を防ぎながら自然治癒力で治せ、ということなのだろう。薬は薬局(Apotheke)に行ってもらってこないといけない。薬剤師会(Apothekerkammer)のウェブサイトに、住所から最寄りの薬局を検索できるシステムがあり(Apotheken -> Apotheken und Nachtdienstapothekenと開く)、週末や夜間に営業している薬局も検索できる。これを使ってみると、最寄りの薬局は1km以上離れていることが分かったので、ウィーンで医学部で勉強しているオーストリア人の友人に依頼して、薬を受け取ってきてもらった。薬代は10.50ユーロだった。薬は、市販の常備薬のような箱単位で処方される。抗生物質は1箱を飲みきったらおしまい。解熱剤は必要に応じて飲む、というふうに使う。

ウィーンで医者の世話になったのは実は初めてだ。基本的な月額の健康保険料が350ユーロ(45,000円以上)と個人の負担は大きいが(収入や社会的な立場などに応じて割引がある)、その分充実していると言えるだろう。

同じ言葉によって指しているものが実は違う、という例

私はたぶん説明下手な方である。時間をかけて文章を書くのは、まあ、なんとかできるが、特に誰かに面と向かって言葉で説明するのは下手なようだ。だから、そういう場面で、「話しがわかりにくい」と言われたり、全くイイタイコトが伝わらなかったりする。日本語でも英語でも同様だ(複雑なことを説明するほどのドイツ語力は持ち合わせていない)。

だが、こういう苦難(?)を毎日のように経験する中で、最近思うのは「話が分かりにくい」と指摘してくれたり、全く別の意に誤解する人に、一つの共通する点があるようにも思う。それは、何か説明された時に物事を理解する手順のようなもので、相手のモノの考え方のフレームワークを読み取ってそれに沿って理解しようとするか、あるいは自分が既に持つ(自分に既知の)フレームワークに落とし込んで理解しようとするかの差で、「わかりにくい」と指摘したり誤解する人は、往々にして後者であるケースが多いように思う。むろん「理解する」とは複雑なプロセスで、そう単純ではないだろうが、少なくともAという人からBという人に情報が渡る局面で、上のようなタイポロジーが可能ではあろう。

単純な例を挙げよう。日本に住んでいる人に「ウィーンに住んでいます」と言ったとき。しばしば返ってくるのは、お世辞や社交辞令的な部分もあるだろうが「素敵な街ですね」とか「いいですね」と言われて、それ以上会話が続かない場合がある。これが、たとえば「ジンバブエに住んでいます」ではどうだろう?きっと「大変ですね」とか「危なくないですか」とか言われるだろう。そしてジンバブエでの生活についてあれこれ聞かれるのかもしれない。

実際問題として、ウィーンで生活するのは、おそらく東京と極端な差はないと思うし、ウィーンにはいい面も悪い面もあるのだが、テレビあたりで見た自分の中にあるウィーンのイメージだけで「いいですね」などと返答すると、その先が続かない。逆に「へえ、ウィーンでどういう生活をしているのですか?」と聞いてくれる人も結構いて、その場合は先入観などを抜きに聞いてくれることが多いから、こちらも話す甲斐がある。前者の聴き手は、自分のフレームワークで聞く型、後者は、相手のフレームワークを受け入れようとする型、とも言える。

また、私の専門とする「公共交通」の分野でも、「公共交通」が意味するモノはずいぶん幅広いし、人によって差異がある。専門家でも異なることはざらだ。会話がちぐはぐになるのは同じ単語を使って意味しているモノがお互い微妙に違うから、などということはよくある。図などでも同じだ。もっと大きなモノになって、研究プロポーザルなどになると、全く頓珍漢な理解をする「専門家」もいて、言葉によって指しているものが相互に違うのだと気づかされることもある。いずれも、聴き手が自分のフレームワークに全て落とし込んで考えている時に起ることだろうと思うし、「専門家」は往々にしてそういう罠に陥りやすいのではないだろうか。

私自身だって他人のことを言える立場ではないのかもしれない。だが、この点を指摘しておく必要はあるだろう。自分のフレームワークで聞くのか、他人のフレームワークの上に入り込んで聞くのかでは、モノの理解のしかたに大きな違いがあるからだ。特に、世代が異なる人や、生まれ育った文化が違う人では、自分と相手のフレームワークの差が大きいかもしれないから、なおさら気をつけねばならないだろう。

今年もクリスマスマーケットの季節がやってきた

ウィーンの冬の楽しみといったら、クリスマスマーケット(Christkindlmarkt)だ。ウィーンの市庁舎前を筆頭にして、Altes AKH(ウィーン大学のキャンパス)、美術史博物館と自然史博物館の間、ベルヴェデーレ宮殿の前、シェーンブルン宮殿の前、カールス教会の前、シュピッテルベルクなど、挙げ始めたらキリがない。特に市庁舎前のマーケットはヨーロッパでも有名なものだ。また、マーケット以外にも、路上に出ている露店は多い。

このクリスマスマーケット、農閑期の農家や地方の工房の「出稼ぎ先」のようだ。露店の小屋にはたいてい営業者が書かれているが、シュタイアマルクやブルゲンラント、ニーダーエスターライヒ、オーバーエスターライヒあたりのものが多い。ウィーンのクリスマスマーケットでは少し高めにモノが売れるから、稼ぎもいいのだろう。

また、今年は市内各所のイルミネーションに白色LEDが多用されるようになった。中心部のグラーベン通りの電飾は、形こそ同じだが、白熱電球の色から白色LEDの色へ変化。透き通った感じが増した(好みは別れるだろう)。

10月の後半から11月半ばまでのウィーンは、空も街も灰色でひじょうに鬱屈した街になる。ところが、11月中旬にクリスマスマーケット始まると、途端に華やかになるのだ。この華やかな雰囲気は、延々と年明けまで続く。

ウィーン市庁舎とその前の広場で行われているクリスマスマーケット。多くの人でごった返している。

市内の目抜き通りグラーベンのイルミネーション。

ウィーンの大学が燃えている – 続編(1)

前回の記事に書いたウィーンの大学での学生のサボタージュ・ストライキと、講義室の占拠は、2週間が経過した今日でも続いている。

この運動はドイツにも飛び火し、ミュンスター大学とハイデルベルク大学で学生による講義室占拠が起っている、とウィーンの日刊高級紙Der Standardが報じている。さらに、組織しているunsereuni.atによると、このほかにポツダム大学、ダルムシュタット工科大学、テュービンゲン大学、マールブルク大学、ミュンヘンの芸術大学でも講義室占拠が起っているようだ(Unsereunis.deも参照)。また、ベルリンでも同様の動きが起っているようだ(ORF)。キーワードは「連帯」。(ちょうど、ポーランドの民主化革命の時を連想させる言葉だ。)そして、今日(5日)夕方には、またウィーン中心部で1万人規模の学生デモが行われた、という具合だ(Der Standard)。

今回の動きは、元はといえば「学生(特に学部生)が増えているのに大学の資金が増えない」というあたりに問題があるようだ。オーストリアの大学は、大学進学者用の高校であるギムナジウムを修了し、マトゥラと呼ばれる大学入学資格を得れば、医学やスポーツ科学、音楽などの一部を除いて、基本的に誰でも在籍登録できる。学費は無料で、予算は国が拠出するものと、企業などからの研究資金でまかなわれる。研究の方は研究資金で回っているものの、国が拠出する方の運営資金が足りていない。学生一人あたりの教員数は極端に多い(ただし、学部レベルの講義では、日本の大学も同程度となる部分も多い)。そんな事情だから、大学間会議のチーフは1兆ユーロ資金不足を訴えることで学生側を擁護する格好の発言をし(Der Standard)、デモなどに参加する教員も出ている(Der Standard)。さらに労働組合連合なども運動を後押しする、という構図になっている。根本をたどれば、2002年の民族党と自由党の右派・極右連立政権時代の「大学改革」、ということになるらしい。

この学生の動き、オーストリアでは、Hahn教育相が事態の収拾に直接あたり、Feymann首相も首を突っ込むという形になってきた。学生側と教育相の直接の話し合いが、近々持たれる予定だ。しかし、教育相がどこまで本気なのかは未知数だ。教育相はEU委員になるために辞任する予定であり、やる気なんかなさそうだ。それに後任がこんな状況で決まるわけがないし、後任選びは「ババ抜き」だろう。この先、大学の予算が増やされたり、学部生に対する入学試験の実施などが導入される方向での検討が首相などが主導して始まるようであるが、こちらもまた未知数。もはやこの先の行方は不透明だ。

それにしても、デモや講義室占拠といった古典的なやり方と、FacebookやTwitter、それにライブ・ストリーミングによる占拠講義室の中継など、現代的なメディアを駆使して、見事に政治的主張を展開している。さらに、インターネットではDer Standard紙が時々刻々と情報をアップデートしている。各紙などでは、むろんトップニュース。

いったい、これに比べると、日本の大学生のパワーはどこに行っちゃったんだろう?みんなおとなしく横一列に「就職活動」を卒業の1年半前からしている姿と比べると、エネルギッシュさが根本的に違うような気がするのは、私だけだろうか?

連日のサボタージュ・ストライキに関して、学生や教育相の動きを伝えたり、論評を掲載したりしている、Der Standard紙の紙面。

ウィーンの大学が燃えている

ウィーンは華麗なるハプスブルクの都であったところでもあるが、同時にデモの街でもある。19世紀の華やかな建築が並ぶリンク通り沿いは、春から秋にかけて、しばしばデモ行進の場所となる。多い時には1日に3つくらいあることも。そして、路面電車が迂回するので、デモがあるとすぐにわかる。

ウィーン大学を発端に、大規模な学生のサボタージュ(ストライキ)が始まってから今日で9日目になった。ウィーン大学のAudimaxなどを学生が占拠している状況が今も続いている(写真)。サボタージュはオーストリア全土に拡がっていて、ドイツに飛び火するのも時間の問題ではないかとすら見られているようだ(ドイツの側の学生団体のページ)。水曜日には、1万人(警察発表の数字らしい:ソース)とも5万人(学生側発表の数字らしい:ソース)とも言われる学生が、リンク通りや、官庁が並ぶウィーン中心部のミノリーテン広場をデモ行進。スローガンは「Uni Brennt!」つまり「大学は燃える!」だ。

この動き、Studentenproteste 2.0とまで名付けられることに象徴されるように、TwitterやFacebookといったインターネット上のツールを使って瞬く間に広まった。活動そのものも http://unsereuni.at/ というウェブサイトで情報がやりとりされ、さらにFlickerで写真が随時アップロードされ、動画のストリーミングまでされているというもの。Facebookでは2万人を超える学生がこの運動の「ファン」として登録している。

学生の要求はというと、基本的には「教育環境の改善を」というもので、「銀行と大企業ではなく教育にカネを回せ!」といったもの。学生一人あたりの教員が少ないことや、講義室が学生であふれてしまうことなどが背景にあるようだ。また、近年ではドイツなど隣国からも大勢の学生がやってくるようになった。ウィーンの日刊高級紙DerStandard(30日付け)によると、オーストリア国内の学生数(「大学」の学生であり、高等専門学校は含まれていないので、日本の学生数と単純に比較しないように)は昨年の24万人から今年は一気に30万人に増えてしまう見積もりがあるらしい。

大学の方もこれらの動きを容認しているどころか、学生を焚きつけているような節もあって、工科大学のホームページではニュースとリンクがご丁寧に用意されている(そのページ)。近頃は大学も資金が苦しくなっているので、ウィーン大学の学長などは学生の動きにかなり理解をしめしているようだ。

政府の方も手をこまねいていて、ファイマン首相(SPOe)が自ら事態の収拾に当るようなことになってきた。教育大臣Hahn (VOeP)はというと、EU委員への登用により辞めることが決まっていて、本気で解決するのか怪しいもよう。とりあえず今これを書いている時点で、事態収拾の方向はまったく見えていないようだ。

DerStandardにも写真がたくさん掲載されている。興味ある方はご覧あれ。

マスター・コース・ステューデントとか。

日本人の口から耳にする英語で、しばしば変だなと感じるものがいくつかある。日本語の直訳をしたら、意図する意味と変わってしまったもの、と言ってもいい。いくつか例を挙げておこう。

一つは”master course student”とか”doctor course student”という言い方。「修士課程の学生」「博士課程の学生」を訳したいのだろうが、これは”master student”と”doctorate” がそれぞれ正式。courseを入れてしまうと、「学位取得は目指していないが在籍している学生」というようなニュアンスになってしまう。ちなみにドイツ語でも”Masterstudent”と”Doktorate”になり、やはり同じだ。

それから気になるのは「久しぶり?」を無理やり翻訳しようとすること。”It’s long since we met last time.”とか無理やり言えなくもないが、そもそもこちらの人はこのような挨拶の仕方をしないので、どうにも長ったらしいへんてこな挨拶になってしまう。逆に”Hey what’s up?”を日本語に訳すと変なのも同じだ。こういう場合は”How are you doing?”とでも置き換えるのがいい。

似たように、「がんばって」もかなり翻訳に無理があることがある。場合によっては”I wish you do your best!”とか”Good Luck on your … “みたいにも言えなくはないが、すべてがこう訳せるわけでもない。時には(特にメールの末尾など)、”Cheers!”とか”CU”とか入れたほうがいいかもしれない。

これらとは逆に、あまり慣れている日本人がいないなあ、と思うのは “google it!” とか “e-mail me!” とか “facebook me!” みたいな言い方。学校で習ってきた英語にはほぼ間違いなく出てこないと思うのだが、日常ごく普通に使われている表現だ。ドイツ語でも”googlen”といったり”e-mailen”と言ったりする。要するに、英語でもドイツ語でも、googleもe-mailもfacebookも動詞として使われているということ。日本語だって「ぐぐる」とか「メールしてね」とか言うじゃないか。

とまあ、最近気になる日本語直訳っぽい英語をちょっと並べてみたりしたわけだ。また思いついたらこの手の話は書き足していこうと思う。

定額給付金の話し。

定額給付金、なんてものがあったのを、覚えていらっしゃるだろうか?政策としてどうだったかというのは(まあ選挙結果を見ればわかりやすいが)ここでは置いておいて、その配布方法について、どうにも不可解だった。ちなみに、全部数ヶ月前の話しだ。

私は日本に比較的長期滞在していた関係上、2月1日時点で豊島区に住民登録していたので、そこで給付金を受け取る権利があった。しかし、豊島区のウェブサイトの定額給付金関係ページをいくら見ても、海外に引っ越した場合の対応は書かれていなかった。そこで、区民部 定額金担当課(+81-3-5992-7051)に電話をした次第。

電話の中身に入る前に、豊島区の対応をまとめておこう。区民には、簡易書留で(ここ、よく覚えておいていただきたい。簡易書留だ。)申請書が配布される。それを受け取ったら、窓口に赴いて申請するか、郵送で申請するそうだ。申請書の他に、「通帳の住所や口座番号が書いてあるページのコピー」と「身分証明書のコピー」を同封せよとのことだった。

豊島区外に2月1日以降に転居した場合も、豊島区に申請する権利がある。日本国内に転居した場合は、転居届に転居先住所が記載されているから、それで事務処理を行うことができたであろう。

問題は、日本国外に転居した場合だ。転居届には「ドイツ連邦共和国」などのように、国名のみを記載することになっている。転居先住所を記載する必要はない。従って、豊島区は、国外に転居した住民に対しては、申請書を郵送することができない。

そこで私は電話をしたわけで、当然ながら、現在の私の住所に国際書留郵便で送付するよう依頼した。私は在留届をこちらの日本大使館領事部に提出しているから、日本国政府の枠組みのなかで、私の住所を別途確認することも可能なので、その旨も告げた。これに対する豊島区の担当者の回答は「海外への郵送は対応しておりません」というものだった。いったいどういうことだろう?日本国内に郵便を送れるなら、日本国外にだって郵便を送れるはずではないか!この豊島区の担当者は封筒にアルファベットを書けないとか、そういう特殊な事情があったのだろうか?

仕方ない、代案。私の両親宛(要するに「実家宛」)に送ってもらうことにした。そこで私の実家住所を豊島区に告げた。「実家」になら送れるらしいのだ。しかし、いったいどうやって私の「実家」であることを確認するのだろう?仕方ないからこれで決着することにした。

しばらくして、実家には「普通郵便で」書類が届いたそうだ。いったい、区内に居住する区民に「簡易書留郵便で」送った(意味不明な)ポリシーはどこにいったのだろう?謎である。

さて、記入をして送り返す段になって、一つ問題があった。豊島区の指定は「通帳の口座番号と名前が書いてあるページのコピーを提出せよ」というもの。しかし、私が振り込んでもらおうとしていた口座は、(日本の銀行のものだが)そもそも通帳などない。仕方ないからキャッシュカードのコピーで代用した。結果的に問題なく受理されたようで、しばらくたって定額給付金が振り込まれていた。

以上が、私が定額給付金を受け取るまでにかかった流れだ。

さて、ここまできて、「定額給付金」にかんする「豊島区」の事務処理が、一貫性がないということにお気づきだろうか?

定額給付金は、受け取る「義務」のあるものではない。2月1日に日本国内に住民登録をされていた者が受け取る「権利」のあるものである。権利であるから放棄することもむろんできるわけで、辞退するだのなんのって総理大臣やらが言っていたのを憶えていらっしゃる方も多いだろう(辞退するとは、要するに権利の放棄だ)。

従って、各個人が権利を持っていることをあまねく周知する義務が豊島区にはあるだろうが、権利があることを各人に伝えるだけで十分なはずである。権利があると分かった人は、申請用紙をどこからか持ってきて(今どき、区役所や支所の窓口、駅頭、PDFでウェブにアップロードなどいろいろ組み合わせられる)、必要事項を記入して、権利を行使する旨を申請すればいいだろう。二重に申請する不正などには、住民基本台帳と身分証の組合わせの確認で対応できるはずだ。

定額給付金にかんして、簡易書留郵便でわざわざ周知徹底するのなら、たとえば選挙の前には「あなたには被選挙権があります。立候補できます。」とか、各個人に周知徹底するのだろうか?あるいは、「あなたには日照権があります」と、新たに建つ建物の近隣住民にあまねく周知徹底するのだろうか?いや、していないだろう。逆に、車検や、年金の納付のような義務に関しては、各個人に直接通知する必要があるだろうし、実際に通知しているだろう。(選挙に関しては「あなたは選挙人名簿に登録されています」という通知が各個人に必要な程度に複雑だから(特に引っ越した場合)、通知するのもやむを得ない気がするが、やはり権利行使という観点からはちょっとやりすぎにも思われる。)

まあ、年金とか選挙とか、個別の案件に関しては個別の事情もあるからこれ以上触れない。だが、いずれにしても、豊島区の定額給付金の給付方法には「義務」と「権利」に関する事務対応の混乱があるように思うのだ。仮に百歩譲って「権利があることの通知」を書留郵便であまねくすることをよしとしても、私のように受取時点で海外に居住している人に同様に対応できないのでは、やはりちぐはぐさが残る。区内の住民には「義務の通知」と同等の対応をして、海外に引っ越した住民にはあくまで権利として扱う事務対応では、一貫性がない、と言わざるを得ないだろう。

以上のようなことを、豊島区の定額給付金の給付課程を見て思ったのだ。ちなみに、政策としてはかなり馬鹿げていると思うので、日本よりも景気の悪いヨーロッパの景気回復に少しでも貢献するべく、ヨーロッパで使ってあげた。

「日本人、やめます」とか、”Japanese”とか。

「日本人、やめます」とかは、まあ日本が二重国籍を法律で認めていない以上、言えないわけだが(日本国籍はそれなりに「便利」だからね。なんだかんだ、ビザなしでいろんな国に行けるし。この外交努力は評価したい。)、しかしメンタリティーの話しとなるとちょっと別。最近、社会的テーマについて書くことが多かったので、たまには個人的な体験をベースに書いてみようと思ったわけ。

日本での生活を経験した人、日本人と長いこと働いた人、日本人の友人が多い人、などとの間でよく使う形容詞に”Japanese”というのが、ある。日本の事情をある程度知っている人で、かつ日本を「外から」見る眼を持っている人には通用する言い方だ。私が”She is very Japanese”と言うと”I understand what you mean when you say ‘Japanese’.”とか返ってきたりする。しかしこの形容詞、なかなか上手く説明できない。

根本的に、”Japanese”という単語を使うこと自体、ちょっと差別的であり、無理がある。なるべくなら別の単語に置き換えたい。しかし、今のところ、さしあたってよい単語が見つかっていない。

そもそも、この”Japanese”という概念を説明するのが難しい。とりあえず

What should NOT a “Japanese” thing/person have? (NOT だ、念のため。)

という問いのたてかたをするなら、いくつか説明できそうだ。つまり”Japanese”として形容されるものが備えて「いない」べき物事。

一つ目には、”self-determined and independent mentality” があげられるだろう。他人の言ったことを鵜呑みにしないで、自分で考える、自分で判断を下す。自分の意志を明示できる。そういうメンタリティー。

もう一つは、”goal-oriented”だろう。現状どうか、ではなく、何をしたいか、を基準として出発する物事の考え方。

それから、暗黙の「美」に関する(日本固有の)世間的概念をそのまま受容しないこと。「白い肌は美しい」とか。(あんまり白いと、3年くらい入院してたの!?とか思うじゃん。)今日話していた内容で言えば「鼻が高い」=「格好いい・美しい」とかもそのまま受容しないこと。美の概念は多様であっていい。それから、やたら「カワイイ」を連発しないこと。「カワイイ症候群」にかかっていないこと。「カワイイ」ことが必ずしもポジティブであるとは限らない。

本音を隠さない。無駄に遠回しな言い方をしない。Straightforward な言い方ができること。

外国人と接する時におどおどしない。たとえ言語が通じなくても、笑ってごまかさずに、何とかコミュニケーションを取ろうとする。

とりあえずこれらを備えていたら、”Japanese”という形容詞でくくられたりしないだろう。

いや、何か最近自分がメンタリティーの面で”Japanese”じゃない気がするのね。”After I worked with a Japanese guy for a month in Vietnam, I realized you are not really a […]

夏のウィーンは退屈なウィーン

この季節ともなれば、ウィーンは観光客だらけになる。街の中心からちょっと外れたところにも、アメリカ人だろうか、ビーチサンダルを履いた女の子の集団が観光用の地図を眺めていたり、中国人らしき団体観光客が集団で歩いていたり、ドイツ風のドイツ語を話す人たちがカメラ片手に地下鉄に乗っていたりするものだ。

だが、同時にウィーンの住人もどこかへ行ってしまう。多くはアドリア海や地中海の海を目指してイタリアやクロアチアやギリシャへ休暇に出かけるらしい。こちらでは2週間程度の休暇を取ることはごく当たり前に誰もが行うことなので、時期を少しずつずらしながらみなが夏の休暇に出かけてしまう。(まあ自分も2週間日本にいたが、クロアチアの海岸で2週間のんびりするのとはわけがちがう。)それに、大学の中も学生もいなければ研究員も半分くらい休暇に出かけたりしていて、「からっぽ」だ。

ということで、この時期にウィーンにいてもなんだかどことなく街が空っぽなかんじがして、ちょっと退屈である。誰もいやしない。だからといって何週間も休暇に出かけているような余裕もない。ウィーン市内も、主な観光地は一通り見てしまったから改めて行こうという気にもならないし(そもそも来訪者がある度に行ったりしているのだ)、博物館が夜に開いているわけでもないし、天気のいい日に屋内の陽の当たらない美術館にいるのもなんだか嫌である。博物館や美術館は冬に限る。むろん、オペラやコンサートは夏の間はオフシーズン。「本場」であるウィーンでは音楽祭もない(”本場”であるから、あるわけがない)。

ひとまず、この状況は自分で適当にやり過ごすしかない。でもなんだか、日暮れが21時頃で十分明るい夜だというのに、家でパソコンに向かってこうした文章を書いているのも、なんだかちょっとやるせないものがある。なかなか困ったものだ。

『日仏カップル事情 日本女性はなぜモテる? 』

『日仏カップル事情 日本女性はなぜモテる? 』(夏目 幸子 (著)、光文社新書、2005)というなかなか面白い本があった。社会学なんだけど、エッセイ風で楽に読める。

何が面白いかって、この本の「フランス」を「オーストリア」に、「パリ」を「ウィーン」に置き換えてもよく当てはまる気がするのね。日本のことが好きな男、といってもサブカルチャーなんだけど、そういう男とか、こちらの”強い”女性を扱えない男とか、逆に「外人と1度は付き合ってみたい」とあこがれている日本人の女性とか、なんだかいろいろ見たこと聞いたことあるようなないような。

本書に「日本人と結婚した人は、その人という個人と結婚したのであって、日本文化と結婚したのではない」という趣旨の記述が出てくる。なるほど、そうだよね。だけど、暗に結婚相手が日本文化を受け入れる、なんていう期待が国際結婚の中ではあるのかも。

ちなみに、こちらでこのブログに表示される広告を見ていたら、JapanCupidという日本人対象の(真面目な)出会い系サイトがちゃんとあるのね。ざっと見てみると、男性は白人系の人が、女性は日本人の登録が多いみたい。同じようなサイトで韓国系の相手探しサイトもあるらしいから、なんとも驚いちゃった。

(全くの余談だが、BGMにかけているMutiのチャイコフスキーの交響曲第5番、やけに速いなあ・・・・)